こんばんは。
明日で21歳を迎えます。今更どう足掻いても歳はとってしまうのですが、20歳のうちに20歳の反省と振り返りをしておこうと思います。
21歳の抱負はまた明日に。振り返りなので固く書いて、明日は短く楽に書きます。
ちょうど1年前の今日の夜中、よく遊んでくれている友人と「ペンギンのいるBar」に行き、日が変わると同時にお酒を生まれてはじめて飲みました。はじめてのアルコールの味は、思った通りそこまで美味しいと思えるものではなく、グラス飲みきるのに結構苦労したのを覚えています。未だにお酒を好きと言えるようにはなっていないのですが、甘いカクテルなら数杯は飲めるようになってきました。一番のお気に入りはカシスミルクとピーチフィズ。見た目もかわいくて、甘くて、周りの人からは「それお酒じゃないよ笑」なんて言われちゃう通り、確かにお酒っぽくはないですね。同い年の女の子が生ビールを美味しそうに飲んでたりして、大人だなあなんて妙に感心してしまいました。いつか美味しく感じるときが来るのかな?
誕生日といえば、20歳の誕生日当日は自分の2社目の会社を設立しました。SNSでは猫社と呼んでいます。本業の傍ら、友人と共に経営に勤しんでおりましたが、最大で7人くらいの従業員を抱えるまで大きくなりました。また、今年の4月には東京レインボープライドに協賛する機会をいただきました。日本で一番大きいLGBTパレードに協賛させていただけることは本当に光栄なことであるとともに、わずかでもこの大きな活動を支援することができたことを誇りに思います。猫社も1周年を迎えましたが、従業員の方や経営を支援いただいた役員の方々には本当にお世話になりました。この場を借りてありがとうを。
自分の人生の進捗というと、GIDのことを挙げないといけません。今年は自分の名前が変わった年でもあります。6月13日、法的に今の「さくら」という名前に氏名変更が認められた、名前の誕生日になりました。GIDを理由に氏名変更を行う場合、最低も1年以上の使用実績が必要です。いろいろ悩んで悩んで、結局決まらないよね(笑)なんて思いつつ、それまでに使っていた「さくら」にしました。女性名がないと不便だからと、特に理由もなく使い出した名前でしたが、使っているうちに馴染んでいて、これしかなくなりました。名前なんてそんなものかもしれません。
両親にも名前変更のタイミングで自分がGIDであることをカミングアウトして(既に気付かれていたようですが)、自分自身を受け入れてくれたのは本当に嬉しかったことです。90近い祖母にも母から既に伝わっていたようですが、本当によく受け入れてくれたと思います。父母に理解されるのももちろん嬉しかったのですが、それ以上に祖母に受け入れられたのが本当に嬉しくて、もう隠さなくていいんだって思うと涙が出ます。これまで育ててきた子が名前を捨て、性別を変えると言い出すのですから、大きなショックがあったことだと思います。精一杯の親孝行でお返ししないといけませんね。心から、家族に恵まれたことに感謝しています。お母さん、お父さん、おばあちゃんにありがとうと、素直になれなくてごめんなさいを。
仕事の面では、本業は19歳の頃に入社したIT系の開発会社にずっと居させていただいております。今では技術部門のトップで、本当人生は何があるか分かりませんね。今年は主に前半はFlashを使ったストリーミングに、後半はWebRTCを使ったストリーミングに、主に映像配信技術に関する研究を行った年でした。前々から動画配信系のサービスってどう作って居るんだろう?と疑問になっていましたが、この1年でとても多くを知り、ある程度のサービスであれば自分一人で作ることもできるようになりました。知識欲をたくさん満たしてくれる職場に感謝します。残念ながら目に見える結果としては後半あまり残せませんでしたが、来年の早い段階で出せるように尽力する次第です。
また、それまでに個人的にスタートしていた事業をいくつか売却した年でもあります。私はモノづくりが好きで、ある程度成熟してきたサービスには興味がありません。今まで手がけてきたベンチャーで大きく実を結んでいるものも2つ3つありますが、勢いで作ってしまって、ある程度グロースできたところでバイアウト戦略をとっています。成熟してしまったサービスを大きくするよりもゼロからイチを作る方が楽しいですからね。
自分の手を離れた自分のプロダクトの成長を影から見守っています。
ずっと「生き急いでるね」なんて周りからは言われるのですが、本当にそうだと思います。私は死ぬのが怖いです。高校生のころ、自分から死ぬことを選んで病院に運ばれたこともあります。よくつぶやいたりしてますが、16歳のころは自分が20歳まで生きれるなんて思っていませんでした。だから、残り少ない人生を無駄にしたくない思いで、必死に生きてきました。それは21歳を迎える今も代わりありません。誰にも死は平等に訪れますが、重要なのは死には順番がないということです。私は90歳を生きるかもしれないし、不摂生やホルモン治療の影響で60歳を生きれないかもしれないし、交通事故や病気で30歳まで生きれないかもしれません。私の尊敬する人は「Life is today」と言いました。人生には明日も明後日もなく、今日こそが人生なんだと思います。例えば病院で、余命1年だと宣告されることを考えてみてください。あなたは残された1年という時間をどう生きますか?自分の人生という物語の終わりに、他人の人生を書くのは極めて滑稽じゃないですか。いつ自分の物語が終わったとしても後悔しないように、わたしは残り少ない自分の人生を生きることにしました。
最後に、こんな拙い文章を読んでくださっているみなさんに心からのお礼を。
雑感
こうして振り返ってみると、思ったより遠くまで歩けていたことに気付きます。学生のうち、特に時間があって暇で暇だった16歳の今頃は、ひたすら「マインクラフト」のサーバーチューニングや開発に勤しんでいました。それは好きで自分がやっていたことでしたが、今思うと今の私の大きな知識ベースになっています。人生には本当に無駄なことなんて本当はないようにできているのかもしれません。
可能性という意味では、年を取るのは本当に悲しいことです。極端なことを言えば、「学生モデルやりたい!」と思っても、私はもう学生に戻ることはできません。20歳30歳に上限の年齢制限がある職は多くはないですが、そういう職もあるんだなと。自分の生きた姿をそのまま残せるモデルさんっていうのは、結構憧れる職業だなーなんて思いつつ、「学生モデル」という限られた職に限って言えば、私がそこに入れる確率はゼロなわけです。自分が何者になれて何者になることができないのか、この年齢でも既に突きつけられたようで、ちょっと悲しく思いつつ、まだ開けている可能性を閉ざすことがないように生きていきたいと思いました。
以上が20歳の振り返りと、最近の雑感です。